山本真司事務所の夢

 

何故、私は、経営戦略コンサルティング業界から去ったのか?

2009年、私は、20年間身を寄せていた外資系の経営コンサルティング業界を去るという意思決定をした。

直近まで勤めたベイン・アンド・カンパニーは、世界のコンサルティング業界の中でも、
クライアント企業の成果にフォーカスした結果主義と、圧倒的に素晴らしい仕事環境を備えた会社として世界的に有名である
(米国 Consulting MagazineのBest Place to Work” ランキングで、近年連続1位の位置を守り続けている)。
BCG、 A.T.Kearneyというトップネームコンサルティング会社で素晴らしい経験を味わった。
しかし、更に上をいく評価を得ている会社がある、 それがベインであるという情報に接してからベイン入社への希望を強くした。
結局、A.T.Kearneyを辞めてから、独立のまねごとをしたものの3カ月で会社を畳んでベインに飛び込んだ。
評判通り、ベインは素晴らしいコンサルティング会社であった。
若く、一本気で、プロフェッショナル意識も高く、
その上、チームスピリット、愛社精神に満ちた集団 が、そこにはあった。世界中の素晴らしい仲間とも出会えた。
もし、外資系経営コンサルティング業界で仕事を続けるつもりがあれば、私は、迷うことなくベイ ンに居続けたであろう。
そういう意味では、ベインとの決別は、私にとっては、コンサルティング業界との決別を意味した。

営者の戦略参謀

何故?

一言で言うと、新しいことにチャレンジしたくなった。その気持ちが、いてもたってもいられなくなるぐらいに心を占めるようになった。
そして、後先の思考をも麻痺させるほどの高まりを持って、
私の心を支配し続けるようになったからである。
私にとって新しいこと。実業界で、実際の経営に携わることにも興味はあった。企業へ投資をする仕事にも興味があった。
しかし、もうひとつの気持ちは、新しい立場で 経営者のご支援をするという仕事を作り出すことであった。
ベインを辞めた時は、まだ、どの道を選ぶかは決められなかった。何ヶ月かの行ったり来たりの優柔 不断な日々の中で、たくさんの方々に教えを乞うた。
また、同時にたくさんの方々にご迷惑もおかけした。そして、最終的に選んだ“新しい道”は、経営者の戦 略コーチ役となることであった。

経営戦略コンサルティングと、経営者の戦略コーチは、何が違うか。クライアントは、同じ経営トップ層である。
経営トップ層の悩みの中でも私が扱えるテーマ は、経営戦略コンサルティング会社の扱うテーマと同種である。
しかし、私の戦略参謀業では、チームを率いての大掛かりなプロジェクトはやらないしできない(わが社は、私一人の会社である)。
しかし、私の参謀業は、そう大きな経営問題が勃発して外の助けが必要とは思われていないときも活動する。
しかし、顧問や、アドバイザーとは違い、ハンズオンで経営の支援を経営者の影で行う。
ちょっと分かりにくいかもしれないが、医者に例えるとよいかもしれない。
重病人、また、最新の機材設備、最高のプロのチームを必要とする大手術は、設備も整い、組織もしっかりした
大病院でしかできない。経営の病では、コンサルティング会社の出番である。
しかし、ちょっと体調が悪い、あるいは、今すぐ重篤な事態には陥るリスクのない慢性病、それから、
大手術を終え退院し 自宅に戻った後の健康管理、また、健康を維持するための生活習慣の改善。
そんな相談の相手は町医者である。そう私の仕事は、そんな町医者の仕事である。
普段の 小さな経営課題、あるいは、大きな生活習慣病につながる悪習慣の改善、長い年月をかけた体質改善。
そんな課題を経営者のあくまで影で、目立たない存在として支援し続けたい。
もちろん、重篤な課題を発見したら、私は、コンサルティング会社の手術を受けるように進言する。
中途半端に、私の会社でスタッフをやとったり、機材投資をし、病室をこしらえて大病院の真似をしようという気は全くない。
開業を決めるという段階で気持ちの整理がついた。
私の参謀業は、経営コンサルティング業界と競合する性格ではない。むしろ補完関係にあるものである。
20年居続けた経営コンサルティング業界が好きである。もっともっと、我が国で存在感を出してもらいたい。
そして、私は私で町医者として日本の企業の経営 に貢献できるし、また、私のような業態があるからこそ、
経営コンサルティング業界も更に生きる。そんなことをやってみたい。


誇り高い日本企業の実現へ

それでは、私は、どうして、戦略参謀業をやりたいのか、何の課題を解決するために戦略参謀業をやりたいのか?

一言で言うと、日本企業に誇りを取り戻してもらうためである。
私は、日本企業が好きである。
素晴らしい経営者を輩出してきたからである。私のクライアントの経営者の方々に、私は、経営の技術だけでなく、
経営者としての生きざま、人としての志を教えていただいた。
失われた10年と言われる1990年代を通して、逆に、私は、素晴らしい経営理念を軸に苦境をチャンスに変えていった
素敵な経営者の手腕に触れた。そう いう経営者の意思を形にする仕事をさせていただいたことが、私の喜びでもあり、
私の誇りでもあった。そして、また、辛い時代が訪れた。飛翔するかに見えた 2000年代の日本企業は、飛びきれなかった。
とても残念である。そして、今や、世界の中で忘れられかねない存在になるかもしれないという不安感にも駆られる。

艱難辛苦汝を玉にす。

そう、辛いときが一番磨かれるときであろう。
謙虚に学び、変革の実現にこだわり、そして、株主にも、従業員にも、
社会にも胸の張れる経営を実現する。
それでも、経営者は、謙虚に前に進み続ける。
その姿に、世界の経営者は、感嘆し、賞賛の言葉をかける。そう、尊敬され。それでも、奢らない。
心の底から誇り の高い会社。そんな会社を作るお手伝いがしたい。それには時間がかかる。
外科療法も必要だが、時間のかかる漢方療法、生活習慣の改善も欠かせない。本気で 会社を変える。
そんな志を強く抱いて一歩も引かない経営者の伴走者。それが、私のやりたい経営コーチ業である。
私が、本当にこの仕事を辞める時。それ は、誇り高いロールモデルになる企業を生み出すことに陰ながら貢献できた、
と確信したときである。その実現。それが、私の夢である。